三枝さん・きん枝さん・文珍さんに続くお弟子さん
達の面々も愉快な方々がおられます。その中でも
「文太さん」・「文蕎さん」をご紹介しましょう。
なぜお二人かと申しますと・・・
芸名:桂文珍
本名:西田勤
入門:1969年(昭和44年)10月
誕生日:1948年12月10日
出身地:兵庫県多紀郡篠山町
備考:大阪産業大学の落研出身。
アマチュア時代は「美憂亭さろん」
の名で活動。
さて、六代目文枝襲名の本命かと声も多い文珍さん
ですが、その可能性は如何なものでしょうか・・・
芸名:桂きん枝
本名:立入勉三(たちいりべんぞう)
入門:1969年(昭和44年)10月
誕生日:1951年1月15日
出身地:大阪府大阪市
芸名の由来
:担当直入に本名の「立入」から
「立ち入り禁止」になぞって『きん枝』となる。
ちなみにひらがなが混じっているのは
「やわらかい印象」にする為。
一門の中では二番弟子と高弟にあるにもかかわらず、
多分に軽い印象のあるきん枝さん。
故に六代目文枝襲名には最も遠い印象です。
さてさて、きん枝さんの襲名はあるのでしょうか・・・
芸名:桂三枝
本名:河村静也
入門:1966年(昭和41年)12月1日
誕生日:1943年7月16日
出身地:大阪府堺市
ご存知6代目上方落語協会会長の桂三枝さん。
そのご活躍ぶりは今更ながら説明の必要はないかと
思います。
落語のみならずテレビの司会業としても立派な功績を
残されています。何よりもその企画者ぶりたるや凄い!
番組の企画自体もありますが、
・あっち向いてホイ!
・叩いてかぶってじゃんけんポン!
・箱の中身はなんだろな?
などお馴染みのゲームも三枝さんの考案によるもの
とされています。
五代目桂文枝さんは多くの優秀なな弟子を持っておられた
落語家としても有名でした。
三枝・きん枝・文珍・文太・小軽・文福・文也・小枝・・・
まだまだ書ききれない程のお弟子さんがいらっしゃいます。
桂文枝という落語家さんを先代にさかのぼってみていきましょう。
それぞれの文枝像が6代目を考えるヒントになるやもしれません。
さて、先代にはどんな方々がいらっしゃたかというと・・・
小文枝襲名から38年を経て五代目を襲名した桂文枝さん。
何故襲名まで38年もの時間を要したのか・・・。
平成3年3月9日に開かれた「桂小文枝を囲む会」の席上で
『五代目桂文枝』の襲名の意向が発表されました。この時
62歳になっていた訳ですが、一番初めは50歳の頃に話が
持ち上がったそうですから、それだけでも12年が経っている
訳です。
いったい襲名を避けていた訳と何でしょうか・・・
昭和26年5月あやめ(五代目桂文枝)は結核にて
入院するのでありました。2年間の闘病生活の後
29年4月に『桂小文枝』を襲名するのですが、
実は退院から襲名までの約1年間別名を名乗って
いた時期があります。
その名とは・・・
事の発端は、二代目桂春団治が5代目笑福亭松鶴と仲違いを起こし
戎橋松竹を辞めることから始まったのでした。
この事件を影で操っていたのは春団治の参謀こと花月亭九里丸で、
松鶴が戎橋松竹を仕切っていることが面白くなく、春団治を扇動
して神輿の上に担ぎ上げたのでありました。
いつの時代にも大きな事件には影の参謀っているんですね。
「ヒトラーにおけるゲッペル」や「小泉首相における飯島秘書官」
なんてのがそうなんでしょうか。
そんな落語界を揺るがす事件の中であやめの取った行動とは
驚くことに・・・
五代目師匠の受賞歴は下記になります。
関西での活躍が全国に認められていく様が受賞歴からも見受けられます。
(受賞歴)
昭和42年 大阪文化際賞受賞
46年 芸術祭優秀賞受賞
49年 上方お笑い大賞受賞
53年 大阪府民劇場賞受賞
57年 大阪市民賞受賞
平成 2年 文化庁芸術祭賞受賞
4年 大阪芸術賞受賞
4年 上方お笑い大賞審査員特別賞受賞
9年 紫綬褒章受賞
15年 旭日小綬章受賞
では師の生い立ちからのエピソードを踏まえて、簡単ではありますが
その落語家人生を振り返ってみたいと思います。
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