桂文枝という落語家さんを先代にさかのぼってみていきましょう。
それぞれの文枝像が6代目を考えるヒントになるやもしれません。
さて、先代にはどんな方々がいらっしゃたかというと・・・
なりますので、当然5人の桂文枝がいた訳です。
しかし、厳密に言うと現在初代とされている
桂文枝の前にもう一人桂文枝はいたのです。
しかし、活躍の実態から通説では二代目が初代と
されています。この辺りは本来の二代目の功績が
大き過ぎた為に、時代が本来の初代桂文枝を
もみ消してしまったようであります。
■初代桂文枝
そして歴史上の初代桂文枝は、上方落語における
「桂派中興の祖」
の一人と言われ、滋味ある素噺に定評があり人徳も
熱く特筆すべき落語家であったのです。
この方の活躍で桂文枝という名前は大看板
になった訳です。
■二代目
二代目は初代文枝の弟子で、文都・文之助・
文団治らとともに文枝門下四天王と呼ばれ、
明治12年に文枝を襲名しています。
酒に縁のある噺が得意で、弟子に二代目南光・
二代目文三・三代目文枝なと、多くの名人を
育てた明治の上方落語を代表する落語家でした。
■三代目
子供の頃から舞台に上がる人気者であった
ものの、変声期に一度講座を離れ、舞踏や笛など
端席を勤めながら明治37年に文枝を襲名。
持ちネタは当時随一と言われ、上品で軽妙な
話しぶりであったということです。
■四代目
4歳にして歌舞伎俳優の門弟となり活躍するも、
病弱の為役者を廃業。15歳で三代目桂文枝に
入門するも、一時は落語を離れて舞踏家になります。
しかし、終戦後落語界に復帰して文枝を襲名。
そういう人なので、高座を短めに切り上げて
踊りを踊ったそうですが、「浄瑠璃落語」を
開発して人気を博したと言われます。
そして、五代目桂文枝となる訳です。
四代目文枝に支持した五代目は、落語という本編に
おいてはことさら「五代目笑福亭松鶴」を慕って
おりました。
それ故に、その落語の息・間は
「五代目松鶴」のものであり、その具合は
実子の六代目松鶴よりも明らかに伺えたのでありました。
エピソードとして、後世に六代目松鶴が
「親父にはワシより文枝の方がよう似とる」
と残した程でした。
そんな桂文枝の歴史を次に担うのは誰か?!
次回はそんなことを読んでいきましょう!
<次回に続く>
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