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2005/12/13(火)


二代目桂枝雀
本名:前田達(まえだ とおる)

1939年8月13日生まれ
1999年4月19日心不全にて没。享年59歳。

『萬事気嫌良く』
生前の桂枝雀さんが好んで
色紙に書き添えた言葉であります。
それは枝雀さんの願望でもあったかのように・・・。
桂枝雀さんは神戸大学文学部に
入学される程の秀才でありました。
末は役人か一流サラリーマンへというコースに
乗ることなく、母親の強い反対も押し切って
芸の道を選ばれたのです。


芸との出会いは高校時代に実弟の武さん
(後のマジカルたけしor松旭斎たけし)と組んで
出演したラジオ番組「漫才教室」でした。

前田兄弟として絶賛を浴び、
卒業試験(最終試験)には素人の学生漫才ながら
300人会場を満席にした程の人気振りでした。

ちなみに同番組には「桂三枝・レッツゴー三匹正児・
コメディNo1前田五郎・ルーキー進一」も
出演しており、横山やすしさんに至っては中学生で
出演し「天才少年漫才師」と称されていました。


そういった素人参加番組での縁で桂米朝さんに
弟子入りとなり落語家の道を歩むのでした。

桂米朝さんは上方落語『中興の祖』と呼ばれる
人間国宝を授与された落語界の超大御所でおられます。
上方の埋没しそうであった「古典落語」を数々
「発掘・再編」し、現代に引き継ぐという功績を
残されてきました。

そして、その米朝さんの功績の一つに
「前田達(桂枝雀さんの本名)を落語界に入門させた」
ことが挙げられるくらい、
桂枝雀と言う落語家の落語界における意味合いは
大きいものであったのです。

それは落語界に「爆笑」という二文字を
もたらせたことでありました。

枝雀さんが二代目桂枝雀襲名以降は、落語界における
笑い声は格段に大きくなったと言われています。

その落語は「誇張の落語」と呼ばれ、
滑稽な振る舞いやしゃべり口調で古典の新しい表現と
して確立されたのでした。

また、「SR落語」など新しいことにもチャレンジされ、
常に落語に対して真摯な姿勢で取り組まれておりました。


桂枝雀さんの有名な理論として
「緊張の緩和」
があります。

人間が笑う状態は「緊張(普通にない状態)」から
「緩和(普通の状態)」に戻る(逆もしかり)ことで
あるということを表した理論です。

さげ(オチ)の分類を
「合わせ」「はずれ」「なぞとき」「どんでん」
と4つの分類に分けていたりする。

詳細はもっと深い理論であり、
いつか紹介の機会があれば書かさせて頂きます。

この「緊張の緩和」理論を考え出したのが、
昭和48年の二代目枝雀襲名頃からだそうです。

襲名披露は
「笑福亭枝鶴(六代目笑福亭松鶴実子で現廃業)」
「桂福団治(前小春)」
と三人同時襲名でありました。

実はこの襲名披露前に枝雀(当時小米)さんは、
極度のノイローゼ状態になっていたのでした。

襲名披露を踏ん切りとして、今までの神妙な顔で
笑いを考えていた「縦のシワ」を笑いの仮面である
「横のシワ」に変えて精進していくことを
決意されたのでした。
それからのご活躍は言うまでもございません。

しかし、顔のシワは縦から横になりましたが、
心のシワは縦のままでさらに深く刻まれて
いたようでした・・・。

1999年4月ご自身でその命を絶たれました。
享年59歳。
その志は8人のお弟子さんを中心に今尚、
たくさんの落語家・お笑い芸人さんに
受け継がれています。

2代目桂枝雀さんについては、まだまだ語りきれない
エピソードがございますので、日を改めて書き綴りたい
と思います。
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