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2005/12/04(日)

昭和39年平川幸雄・中田治雄にてコンビ結成。
同時期のデビューに
「若井はんじ・けんじ」「上方柳次・柳太」等、
実力派がしのぎを削っていた。

楽器を持った漫才からしゃべくり漫才へと
徐々に移行。「しゃれづくし」など独自の
スタイルを確立し、スター街道を歩む。


昭和54年10月25日
漫才師, Wヤングの中田治雄さんが
静岡県熱海市錦ヶ浦から投身自殺。
自殺の原因は
「野球賭博」及び「スナック経営の不振」
による借金。


空前の漫才ブームを呼び起こす起源の番組
『花王名人劇場』の「激突!漫才新幹線
(昭和55年1月20日放送)」まで僅か3ヶ月
であった。

「激突!漫才新幹線」には、東西を代表する
漫才コンビとして、「やすし・きよし、
セントルイス、B&B」が出演した。
当初はやすし・きよしではなくWヤングが
出演候補であったことは有名な話しである。


当時の借金額が3千数百万円だった中田さん。
平川さんが様子のおかしい中田さんを問いただして
借金の実態を知る。そして、二人で吉本興業へ行き、
借金の肩代わりを懇願する。

その際に吉本興業から
「借金はいくらあるのか?」
と、尋ねられた中田さんは
「3千万円です。」と答える。
本当は3千数百万円あった金額を
「残りの数百万」
が言い出せずにいたのであった。

結果残りの数百万円を取り返す為にまたもや
博打に手を出すことになるのであった。

「その時に借金全額を口に出せる勇気があった
ならこんなことにはならなかったのに・・・」
と相方の平川さんはナンバ壱番館で話されていた。

ちなみに中田さんの字画を某姓名判断で総運と
呼ばれる全体運で見たとき字画は30。
「吉凶相半ば。浮沈の多い人生の暗示。不運に弱い」
を示す。
他に故四代目林家小染さんも30画であった。


当時、胆石で入院中だった平川さんは、その突然の
悲報を聞いてショックのあまり、とっさに病室の
窓から飛び降りようとしたところを妻に止められた
という。

以来、退院まで、付き添いの者が病室の窓から
離れなかったのだそうである。

■上方芸能界でのとばく罪の撲滅
 上方漫才コンビ・Wヤングの中田治雄の自殺を
 きっかけに大阪府警で摘発した野球とばく事件
 で大阪地検はタレント・月亭可朝、
 コメディアン・間寛平、
 漫才グループ・チャンバラトリオの結城哲也の
 3人をとばく罪で略式起訴。
 吉本興業ではこれ以来、賭博に手を出す芸人は
 使わないと言明する。


その後、平川さんは選挙選に立候補するものの、
落選したり、ショックからなかなか立ち直れ
なかずキッカケを摘めずにいた。

そんな中昭和59年4月に今の相方佐藤武志さんと
コンビを再結成。平川幸男・佐藤武志の
新生"Wヤング"で再スタートを切った。

かつて頂点に立った平川さんも新コンビでは
前座扱いの屈辱も味わったが、コツコツと実績を
積み重ね、平成14年平川一門初の自主公演を
開催し、その舞台で漫才で初となる
「SE漫才」(音響を使った漫才)
を披露。しっかりした漫才をベースに、
舞台ならではの臨場感を加味して新境地を開いた。

現在もSE漫才など新たな挑戦を続け吉本の舞台で
コンビ結成20年に向け、精進を重ねている。
息子さんは演歌歌手の秋岡秀治さんである。


平川さんは2004年5月28日に弟子の
平川ジローさんも自殺で亡くしている。

平川さんのお気持ちを察すると共に冥福を祈したい。

中田さんとのWヤング時代の映像は数少ない。
このDVDは貴重な映像となっている。


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