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2006/03/19(日)
横山やすし+西川きよし=爆笑漫才王やすきよ
この方程式をご存知の方も多いのではないでしょうか。
横山やすし 1944年3月18日生まれ。
西川きよし 1946年7月2日生まれ。
共に高知県生まれなことは
あまり知られていません。
その後やすしさんは大阪府堺市へ転居し、
幼少時代を送ったのでした。
そんなお二人がどうやって出会ったのか
ちょっとしたエピソードも交えて紹介します^^!
この方程式をご存知の方も多いのではないでしょうか。
横山やすし 1944年3月18日生まれ。
西川きよし 1946年7月2日生まれ。
共に高知県生まれなことは
あまり知られていません。
その後やすしさんは大阪府堺市へ転居し、
幼少時代を送ったのでした。
そんなお二人がどうやって出会ったのか
ちょっとしたエピソードも交えて紹介します^^!
■天才少年漫才師と売れない新喜劇研究生の出会い
天才少年漫才師と呼ばれた横山やすしさんは
中学卒業後から松竹新演芸(現在の松竹芸能)に入社。
漫才作家秋田實の門下に入り、
堺伸スケの名で同級生の堺正スケとの
コンビで少年漫才師としてデビューしました。
その後、
漫才の名門屋号である横山姓への憧れもあって、
改めて横山ノックさんに弟子入りします。
そして、
横山やすしとなると同時に吉本興業に移籍したのでした。
それから西川きよしさんに出会うまでに
4回のコンビ別れを経験しました。
その中には
現レッツゴー三匹の正司さんも含まれています。
一方相方の西川きよしさんは中学卒業後、
自動車修理工場に就職しました。
17歳で喜劇俳優の石井均さんに弟子入り、
1年後に吉本新喜劇へ入団します。
そこで当時の花形女優であった杉本ヘレンさんと出会い
駆け落ち同然で結婚生活をスタートさせるのでした。
当時きよしさんは吉本新喜劇の研究生で端役だったので、
ギャラはヘレンさんの方が断然高かったのです。
しかし、きよしさんはヘレンさんを引退させ、
自分の力で生活していく道を選んだのでした。
そんなやすしさんときよしさんが出会うのは
1966年3月頃、場所は京都花月でした。
■天才漫才コンビ『やすしきよし』の誕生
声をかけたのはやすしさん。
やすしさんはきよしさんに対して、
「吉本新喜劇いつも見てるけど、お前の話し方、
漫才に向いてるよ。
な、やろや。やると言わんかい」
と一方的にコンビ結成を押し付けたのでした。
しかし、きよしさんいわく
「当時の僕は通行人(の役)で、
しゃべってないんですよ(笑)。」
当時は新喜劇の舞台でセリフをもらえるほど
活躍してなかったのでした・・・。
やっさんらしいエピソードですね〜^^;
そして、
1966年にやすしさんにとって運命といえる
5回目のコンビを結成するのでした。
「やすしきよし」の誕生であります。
二人のことを『天才漫才コンビ』とよく言います。
しかし、西川きよしさんはこう言います。
「私は漫才コンビで天才なんて
見たことありません。」と・・・。
稽古嫌いなやすしさんを捕まえては、
「400字詰め原稿用紙25枚(の台本)」を
覚えて練習しました。
その結果コンビを組ん当初は2週間かかりましたが、
『やる気』を持って努力を続けると「40〜50分」
で丸暗記できるようになったのでした。
稽古嫌いのやすしさんにとっては、
少しでも早く稽古を終わらせたくて必死に覚えた!
・・・と言うのが本音でしょうか^^;
そんな努力の甲斐もあって、
1967年第2回上方漫才大賞で新人賞を
受賞したのでした。
その後も波乱万丈の芸人人生を送りながらも
「爆笑漫才王」としてその地位を
築き上げていくのでした。
その全てを書くにはページが足りませんので、
今日のところはデビュー前後のお話とさせて頂きます。
またの機会に二人の活躍ぶりを改めて書かせて頂きます。
今も語り継がれる天才漫才コンビ「やすしきよし」の
デビュー当時のお話でした。
ランキングに参加しています。
どうぞクリックのご協力をお願いしますm(_ _)m
天才少年漫才師と呼ばれた横山やすしさんは
中学卒業後から松竹新演芸(現在の松竹芸能)に入社。
漫才作家秋田實の門下に入り、
堺伸スケの名で同級生の堺正スケとの
コンビで少年漫才師としてデビューしました。
その後、
漫才の名門屋号である横山姓への憧れもあって、
改めて横山ノックさんに弟子入りします。
そして、
横山やすしとなると同時に吉本興業に移籍したのでした。
それから西川きよしさんに出会うまでに
4回のコンビ別れを経験しました。
その中には
現レッツゴー三匹の正司さんも含まれています。
一方相方の西川きよしさんは中学卒業後、
自動車修理工場に就職しました。
17歳で喜劇俳優の石井均さんに弟子入り、
1年後に吉本新喜劇へ入団します。
そこで当時の花形女優であった杉本ヘレンさんと出会い
駆け落ち同然で結婚生活をスタートさせるのでした。
当時きよしさんは吉本新喜劇の研究生で端役だったので、
ギャラはヘレンさんの方が断然高かったのです。
しかし、きよしさんはヘレンさんを引退させ、
自分の力で生活していく道を選んだのでした。
そんなやすしさんときよしさんが出会うのは
1966年3月頃、場所は京都花月でした。
■天才漫才コンビ『やすしきよし』の誕生
声をかけたのはやすしさん。
やすしさんはきよしさんに対して、
「吉本新喜劇いつも見てるけど、お前の話し方、
漫才に向いてるよ。
な、やろや。やると言わんかい」
と一方的にコンビ結成を押し付けたのでした。
しかし、きよしさんいわく
「当時の僕は通行人(の役)で、
しゃべってないんですよ(笑)。」
当時は新喜劇の舞台でセリフをもらえるほど
活躍してなかったのでした・・・。
やっさんらしいエピソードですね〜^^;
そして、
1966年にやすしさんにとって運命といえる
5回目のコンビを結成するのでした。
「やすしきよし」の誕生であります。
二人のことを『天才漫才コンビ』とよく言います。
しかし、西川きよしさんはこう言います。
「私は漫才コンビで天才なんて
見たことありません。」と・・・。
稽古嫌いなやすしさんを捕まえては、
「400字詰め原稿用紙25枚(の台本)」を
覚えて練習しました。
その結果コンビを組ん当初は2週間かかりましたが、
『やる気』を持って努力を続けると「40〜50分」
で丸暗記できるようになったのでした。
稽古嫌いのやすしさんにとっては、
少しでも早く稽古を終わらせたくて必死に覚えた!
・・・と言うのが本音でしょうか^^;
そんな努力の甲斐もあって、
1967年第2回上方漫才大賞で新人賞を
受賞したのでした。
その後も波乱万丈の芸人人生を送りながらも
「爆笑漫才王」としてその地位を
築き上げていくのでした。
その全てを書くにはページが足りませんので、
今日のところはデビュー前後のお話とさせて頂きます。
またの機会に二人の活躍ぶりを改めて書かせて頂きます。
今も語り継がれる天才漫才コンビ「やすしきよし」の
デビュー当時のお話でした。
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