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2007/05/17(木)
はな寛太(はな・かんた)さんが5月15日食道がんで死去されました。

享年61歳。


はな寛太さんは相方のいま寛大(いまかんだい)さんと1968年に
漫才コンビを結成。

1977年に一旦コンビ別れするものの2年後の1979年に再結成後は、
ポストいとしこいしとして地道な活動を続けてこられていました。

「ちょっと待ってねぇ」のギャグなどで人気を集め、
漫才コンビとしての地道な活動が認められて
2004年に文化庁芸術祭演芸部門大賞を受賞されました。


お笑いの世界での師匠は藤山寛美さんですが、
漫才界へ引っ張ってくれたのは夢路いとし・喜味こいしさんでした。


特に喜味こいしさんは、夢路いとしさんが2003年に肺炎のため
死去されて漫才の相方を失って以降は、弟子ように思える寛太寛大さんに
いとしこいしの名前を継がせてもいいと語るようにもなっていました。



私事ですが・・・、
5月初旬に地下鉄の中で偶然に相方のいま寛大さんを見ました。

頭の中で「ちょっと待ってね!」のギャグと寛太寛大さんの漫才が
自然と浮かんできたのが凄く懐かしく思えました。

はな寛太さんがお亡くなりになる前に少しでも寛太寛大さんの
漫才を思い出せたことが少し嬉しく思えたりもするのでした。

芸能ニュースランキング

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070515-00000513-yom-ent

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2007/05/10(木)
お笑い芸人で政治家でもあった横山ノックさんが、5月3日午前7時15分に
いん頭がんのため兵庫県西宮市の病院で死去されました。75歳。

横山ノックさんはお笑い界の大御所でしたが、
そこには二人の天才お笑い芸人が存在しました。

一人はご存知天才上岡龍太郎さんです。

Oスケ・Kスケやノック・アウトなどの漫才コンビを経て、
横山パンチ(上岡龍太郎)・横山フック(青芝フック)と
トリオ漫才でである漫画トリオを結成されました。

当時音楽関係の司会を目指していた上岡龍太郎さんを
お笑いの世界に引っ張り込んだことは
横山ノックさんの多大なる功績であったと言えます。

それは桂米朝さんが当時漫才コンビを目指していた
前田兄弟、後の桂枝雀さんを落語界に登場させたことと
同様にお笑い界にインパクトのあることだと考えられます。

上岡龍太郎さんは横山ノックさんの弟子ではありませんが、
漫画トリオという存在の中でお笑い芸人としての力量を
横山ノックさんから学んだと言えるのです。



そして横山ノックさんはもう一人の天才漫才師を
育てることとなります。

それこそ稀代の天才漫才師横山やすしさんです。

やすしきよしで一世を風靡した漫才は漫才ブームを
起こしただけでなく、やすしきょし登場前と後では
漫才自体のスタイルが大きく変わったと言えるほどの
インパクトでした。


そんな天才お笑い芸人二人を生み出した横山ノックさんですが、
晩年は寂しい状況でありました。

しかしながら多くのファンから愛されたその人柄と
芸人としての面白さは、後世に名を残すお笑い芸人
であったことは間違いありません。

心からご冥福を祈ります。


芸能ニュースランキング

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070505-00000025-dal-ent
2006/12/21(木)
カンニング中島さんが死去。

急性リンパ球性白血病のため闘病を続けていた
カンニング中島忠幸さんが20日午前11時46分、
死去しました。享年35歳。

中島さんは、04年末に体調を崩して入院した以来、
06年夏ごろは骨髄移植の手術を行った。

その後、一時は退院して自宅からの通院で治療を続けていたが、
完全復調はしないまま病魔と闘っていた。

中島さんとのコンビ復活を心底望んでいたカニング相方の竹山隆範の
懸命なサポートも実らず、昨年末には2006年春頃には復帰と言われていたが
ついに帰らぬ人となった。

小学校からの同級生である相方カンニング竹山が21日午前、
東京都内で会見する予定。


カンニング中島さんのプロフィール
本名 中島忠幸(なかしま ただゆき)
出身地 福岡県
生年月日   1971年6月14日生
身長・体重 168cm 53kg
血液型 O型
趣味 魚釣り・ドライブ
特技 調理


心よりご冥福をお祈り致します。

本日の芸能ニュースランキング
2006/11/15(水)
鼻エンジン村田さんの死亡原因はくも膜下出血という
発表がありました。


季節の変わり目で昨日の当ブログコメントにもありましたように
元ぴのっきをの清水さんも今月4日に肺血栓のため大阪市内の
自宅で死去していました。

村田さん35歳。清水さん41歳。

双方共に若い死であったことと、自宅で1人発見されたことが寂しいながらも共通点でありました。


共にご冥福をお祈り致します。


鼻エンジン関連記事はこちら

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2006/08/22(火)
わらわし隊って聞いたことあります???


なんかベタな響きのネーミングなのですが、こ
の『わらわし隊』という部隊は実際に存在していたのです。


ときは1938年(昭和13年)。


当時日本は日中戦争真っ只中で、多くの兵隊が中国へ
出征していったのでした。


そんな日本兵の慰問を目的として吉本興業と朝日新聞がタイアップして
作ったのが『わらわし隊』という慰問団でした。


当時、陸海軍で活躍していた飛行隊を「荒鷲(あらわし)」と
呼んでいたことから「あわらし(荒鷲)」と「わらわし(笑わし)」を
かけて名付けられたという微妙にベタなネーミングでした。


メンバーには当時のそうそうたる人気者が並んでいます。


柳家金語楼、エンタツ・エノスケ,アチャコ・今男,
柳家三亀松,石田一松,神田盧山,京山若丸,ワカナ・一郎
などが選抜され参加していました。


注目すべき点は、エンタツ・アチャコは既に解散しており、
それぞれ新コンビで慰問に参加しています。


まあ、映画だけではコンビを続けていましたので違和感は
なかったのかもしれませんが・・・。


ちなみに余談ですが、往年の吉本新喜劇スター花紀京さんが
横山エンタツさんの息子なのは有名ですね。


で、花紀京さんは次男なのですが、長男は誰かというと
関西テレビの元プロデューサーなのです。


そして、その奥さんがなんと吉本新喜劇往年の
ヒロイン中山美保さん^^!


エンタツさんの弟子には横山ノックさんがいて、
その弟子には横山やすしさんがいて
その弟子には横山たかしひろしさんがいて・・・


横山エンタツ恐るべしです。


めくるめく芸人スパイラルにハマってしまいました・・・^^;



話を元にもどして、そんなスターを揃えた『わらわし隊』を
率いたのは、長沖一さんという方でした。


後に大人気となるNHKラジオ「アチャコ青春手帖」の執筆者であり、
当時は吉本興業文芸部長として所属芸能人の指導にあたっていました。


その『わらわし隊』は各部隊を回り、兵士たちの圧倒的な
歓迎をうけたそうです。


そりゃそうですよね!


これだけ豪華な面々が来てくれればウケない訳がありませんから・・・!




今日は終戦記念日ということで、「戦争とお笑い」が交わった
歴史的なことを書いてみました。


戦争という厳しい状況の中でほんのひとときでも兵隊さんの
気を和ませた『お笑い』という文化に改めて深さを感じました。




最後にもう一つ余談・・・

この『わらわし隊』が発足した1938年に吉本興業創始者の
1人である吉本せいが「通天閣」を買収しました。


吉本興業ってこんな昔から世間を賑わせていたんですね・・・^^;


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黒酢バナナで細木数子も・・・
2006/01/20(金)
四代目林家小染さん。

享年36歳でお亡くなりになられたのは、
今から21年前のことであります。

その人柄と愛すべきキャラクターは
今も多くの方に語り継がれています。

そんな林家小染さんを一躍有名にしたのは、
桂三枝さん率いる「ザ・パンダ」でした。

若者向け番組「ヤングOH!OH!」での
人気グループでメンバーは、
月亭八方さん、桂文珍さん、桂きん枝さん、
林家小染さんという落語家さんでした。

その後駆け出しの明石家さんまさんもメンバーに
加わり、より一層の人気を博しました。

当時は地味な存在であった若手落語家をグループで
売り出すという桂三枝さんのプロデュース力には
敬服致します。

[四代目林家小染さん]の続きを読む
2005/12/14(水)
現代漫才において、
しゃべくり漫才を確立したのは
横山エンタツ・花菱アチャコ
さんと言われています。

そして、女性漫才コンビによるしゃべくり漫才を
確立したのは、今回紹介する
海原お浜・小浜
さんであります。

海原お浜:大正5年生まれ
海原小浜:大正13年

小浜さんの舞台にお浜さんがが憧れてコンビを結成。

初の女性しゃべくり漫才誕生までには、
幾多の苦難が待っていたのでした。
[初のしゃべくり女性漫才コンビ!海原お浜]の続きを読む
2005/12/13(火)
ぼやき漫才「人生幸朗」

上方漫才まつり <昭和編> 第1集


現在空席ののまま20年の月日が経ってしまった
ぼやき漫才のポジション。

”ぼやく”とは大阪弁で、
「ぶつぶつと不平や小言を言う」ことであります。

現在では西川のりおよしおさんが独自のぼやき漫才の
完成に向けご活躍されています。

その「ぼやき漫才」で一世を風靡した漫才師と言えば、
ご存知人生幸朗、生恵幸子のご両人でしょう。

死の直前まで「責任者出て来いっ!」と大声を
張り上げていたぼやきぶりは、流行の歌謡曲を
中心に、嫌味の残らない”毒”をお笑いに
変えていました。

そんな人生幸朗さんの芸歴は意外なものでありました。
[人生幸朗]の続きを読む
2005/12/13(火)


二代目桂枝雀
本名:前田達(まえだ とおる)

1939年8月13日生まれ
1999年4月19日心不全にて没。享年59歳。

『萬事気嫌良く』
生前の桂枝雀さんが好んで
色紙に書き添えた言葉であります。
それは枝雀さんの願望でもあったかのように・・・。
[爆笑落語の真髄!二代目桂枝雀 ]の続きを読む
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